【終活】物事の考え方、捉え方

人生のハードルをあげているのは、紛れもなく自分で。
その中で望んだ未来として、今があるんだよなって思ったりします。

宇宙の法則に気がついている方は、たいてい表現の仕方が違うだけで
ほぼ、同じことを伝えています。

初めは読み物として、知識として出逢ったはずが今はあえて感覚として感じます。

そんな感覚として感じている部分を、身近な存在でありながら
知識として得ている方が、解説をしてくださる日常があって。

また、その人繋がりで
出逢があって魂の共鳴があって…そんな仲間と
ひとつの事を成し遂げようとしている動きがあります。

やがてそれはビジネスとなるのか、同志として見える未来を歩くのか
ある意味ワクワクしながら
楽しむ私も確実にいます。

それでも、目の前の困難や辛さ
悪意に晒される事で、落ち込みもします。

そんな時振り返ると過去の自分の作品や言葉が出てくるのです。
そんな言葉や作品に、救われる想いになるのは
紛れもなく自分自身だったりします。

そんな葛藤も全て、等身大でぶつかってきたからこそ
感じられることであり
恐らく、変わらないと思います。

1番の敵であり、同志こそ
紛れもなく自分自身なのです。

結局考え方次第で、乗り越えてゆくのか
匙を投げ出すのか。

諦めるのか。

諦めるという選択肢のない私は、思うのです。
あー、覚悟が足りないんだなって。

まだ乗り越えるのに、覚悟が足りないから
揺らぐんだろうなと。

でもそんな気づきは、考え悩まない限り
やってこないんですよね。

自分で招いた結果を、他人のせいにしている限り責任は自分に無いわけで
成長もしない。

だから文句ばかり出てしまう。
あくまで受け身であるから。
やらされている人生になってしまうから。

社畜だのと…言う方が多いですが
そもそもその会社を選んだのは誰ですか?
そこに残る選択をしているのは誰ですか?という話なのです。

自分の認識が、招いた結果なので
自分自身の問題なんですよね。

今の会社に残ることで得られる安定。
でも、自分の大切な時間を売っているわけです。
自分の時間というものを、目で見えるようになった時、違和感を感じるのは
何故でしょう。

それこそ受け身に転じているからでは無いでしょうか。

未来を切り拓くには、ビジョンとゴールが見えてなければ
到達しないのです。

私は、終活を通じて時間を見える化してゆくのも
一つの手段なのかなと思うのです。

思いついたこと、全部やれていますか?
出来てないと気づきながら、目を背けていませんか?

私はやれてなくて、棚上げしていることが
沢山あります。
沢山すぎて、うんざりもします。
そんな自分にもちろん、落ち込みもします。

だからこそ見える活路こそ、真実であるのではないかと考えます。

いつも理想の自分じゃいれなくて
でも、ちょっとだけ
その理想に近づくために、背伸びしている自分も確実にいて。

その日々の努力がいつか、本当の未来の自分の姿となることを
知っているからかもしれません。

私はそんな生き方をしたい( ˙ω˙)و グッ!






今をよりよく生きる為の終活講座

あきた文化保険センターで10月16日から【終活講座】が始まります。

今をより良く生きる為に。という部分を一緒に考えて行きたいと思います。

いつか訪れる最後の時間。

そうなんです。どんな人にでも、平等に訪れるのです。事故など予期しない形であったり、告知されて始まる最後の時間もあると思います。

私はできるなら、笑って最後の瞬間を迎えたい。

それはまさに、野望です。

ですが今この瞬間を大事にすることで、出来ることを精一杯することで、たとえ思い通りにならなかった人生だとしても、後悔しない生き方だったり物事の考え方や価値観を、大切な人に託すここと出来るのではないでしょうか?

託す未来への準備を始めてみませんか?

私は幼い頃。

それこそ今、10代の自殺者が多いことがネットニュースにもなっておりましたが、死というワードに取り憑かれたように・・・身近でそして生きづらさを抱えて生きてきました。

今年48歳になろうとして、今は逆に生きるということに執着するようになりました。

おそらく、多くの苦しみがあったから故【死】というワードが身近で、そびえたつ壁のようでした。その中で必死に足掻いて、もがいて。

生きることに絶望した時も、周りの理解ある人たちにより救われてきました。

そして思うのです。多くのご縁で生かされてきた自分は、その方々に直接恩返しはできないのです。

なぜなら亡くなってしまったり、遠方だったり。いろんな要素が加味します。だからこそ思うのです。

直接恩返しできなくても、目の前の困っている方の心に少しでも寄り添えることができるのなら。

かつて自分がそうしてもらった様に、誰かに寄り添えるのであれば・・・。

もしかすると、新たに踏み出す一歩の背中を押せるのではないかと。

すなわち、それこそ私流【恩返し】ではないかと思うのです。苦しい時正論や常識は必要ないのです。

なぜなら充分、知っているのです。

正論や常識があるから苦しむ時もあるのです。理想の自分になれなくて苦しいのです。

他人の意見ばかりに振り回されて、自分を見失う時もあるのです。

そんな自分も、弱い惨めな自分も。まるごと受け止めてもらい、一人じゃないんだと気づくと、人は苦しみを乗り越えられるのです。

乗り越えられる力がちゃんと、眠っているのです。苦しくて気づけないだけなんです。

そんな心の仕組みに、絶望こそ喜びや光になる可能性があるのです。そんな事をいうと、新手の新興宗教か!?

怪訝に思う方も多いと思います。

そうではなくて、絶望する程の壁を乗り越えられた時の喜びこそが、最高の喜びとなり次の課題に向き合うエネルギーにもなり得るのです。

そんな小さな成功体験を繰り返すことで、人の心は成長するのだと思います。自分が苦しんだからこそ、人の痛みを共感できるのです。

私はそんな素敵な方々に、多くの出逢いをいただきました。人生の学びをいただきました。

だからこそ、今度は自分が発信してゆきたいのです。まだ見ぬ誰かの心を救いたい。それは私のエゴです。

エゴだからこそ、そのためならなんでもできちゃうんです。作品もそうです。最近思うのは【人生こそ、表現できる最高の作品である】そう、実感するのです。

だからこそ思うのです。

必ず迎える最期があるなら、そのゴールを目指して考えることが1番はじめの一歩だと思うのです。私が看護師として見つめ続けた命の現場。

そしてガラス彫刻作家として、出逢った方がたの考え方や想いを表現することでみえてきた命の輝き。

そんな考え方が基礎となる【今をよりよく生きるための終活講座】ぜひ、ご参加お待ちしております!

申し込みお問い合わせは、あきた文化保健センターまでお願いいたします。

https://akita-culture.jp/2021年10月から始まる新講座

こちらの講座の申し込みで、クリスマスに向けてのガラス彫刻体験もできる、特別な講座となります。






今を生きる為の【終活】

終活という部分に興味を持って…勉強しようとした時
何件か書店に行きました。

終活の本ありますか?と聞きますと、皆さん
就活と思われる

終わる方の活動ですというと…怪訝そうに見られ、そして墓石や家族が亡くなった時に見る本のコーナーに案内された
しかし、そこにはほとんど自分が勉強したい
終活という言葉の本当の意味は存在しませんでした。

ネットで勉強しようとすると、各事業での独自の名称があり
また悩んで…

改めて情報という部分と、捉え方の違いを考えるきっかけにもなりました。

そんな中でも、上級資格を所得する事で講座を開催可能となる終活ガイド一級を目指そうとした訳です。

初めの入門的な部分は意外と簡単に進みました。

そして難儀したのが2級でした。
講座を見て、回答する

気がつくと机に座ったまま…寝ている日が続きました。

流石にマズイと、勉強方法を朝に切り替え
そして試験に向き合いました。

合格をいただき、更なる資格
一級を目指しました。

医療の部分や介護保険。得意分野でもあるので意外と一度勉強したことが残っていたこともあり
資料が届き、まもなく試験を受けることができました。

終活というと、重いテーマなように捉えてしまいがちです。

ですが勉強する事で、人生の最終目標を決める活動であり、よりよく今という瞬間を生きる

そして家族と話し合うきっかけとなるように感じたのです。

誰にでも突然やってくる最後の日。

その最後の日を、いかに後悔なく迎えるか
それがテーマだと思うのです。

最終目的を理想に近づけるためには、周りの人達達に想いを伝えることも重要である事。

そして何より、最終到着点を明確にすることは
今この瞬間をどう過ごすか
ということに繋がります。

私はガラスや墓石の仕事をこなし、この作家さんに作ってもらいたい!

この作家さんだからこそ、頼みたい。

そう思える人になりたいと考えました。

それでは、そうなるために
今何をするべきか。

何に力を入れるべきなのか…自然と見えてきます。

夢や希望は未来につながります。
しかし、ただなんとなく過ごすのも
目標があって過ごす日も…同じ1日なのです。

私は目標を持って、過ごしたい。
今与えられた時間を、限りなく有効に使いたい。
そうなりますと、悩んでいるヒマがなくなるのです。

悩むのは物事が不安で、未来が心配で。
そして覚悟が足りなくて
そんな心の穴を埋めるために、
あてもなく
彷徨う気がしたのです。

まさに、自分そのものでした。

何もかも中途半端で、進みきれなくて
迷いが生じる。

その迷いは全てに対して、どう向き合うのか
自分の心だけが、答えを出せるのです。

最高の人生を送りたい!
そう思って、日々を大切にするのか
なんとなく過ぎてゆくのかでは
大きく意味が異なります。

生きる事に執着する事で、いつか訪れる最後の日を創り上げる。

本当の終活とは、人生を彩る為のツールだと思うのです。

なのでエンディングノートは、何度でも更新して行けばいいと、私はとらえます。
3年を目処に見直してもいいと思うのです。

誕生日に見直す…それでもいいと思うのです。

そうする事で、自分の心の成長や葛藤も含め
また、新たなる終着点が見えてくるのではないでしょうか?

秋田文化保健センターにて、秋に講座の開催が決定致しました。

また、近くなりましたら詳細についてお伝えしたいと思います