新型コロナウイルスに感染され、まさか…と絶句し、コロナウイルスの怖さを感じたのは恐らく、志村けんさんのニュースが1番初めだったと思います。
志村けんさんといえば、昭和のお茶の間を賑やかにして下さったまさに、家族の幸せの時間の象徴でもありました。
子供の頃家族団欒で囲むテレビの娯楽と言えばドリフターズや、バカ殿様。
いつもそこには多くの笑顔と、大切な家族団欒がありました。まさに志村けんさんは、幸せな子供時代の象徴でもありました。
その志村さんが新型コロナウイルスに感染し、人工呼吸器を必要としている状態だとニュースで知り、心配していた矢先、訃報のニュースでした。まさか…としか言葉が出なく
志村どうぶつ園で拝見していた志村さんの姿がこれ程までに、自分の中の大切な部分を大きく占めていたということを、改めて実感した次第でした。
言葉にならない感情を、どうすることも出来なくて…私はただひたすらガラスに向き合いました。
志村けんさんの笑顔…
幸せの時間の象徴だった笑顔にもう一度逢いたくて…無我夢中でガラスに向き合いました。
普段より厚さが倍となる10ミリの厚さのガラスを用いる事で、より一層立体的に表現しました。
サンドブラストの吹きかける砂の圧により、鼻や頬の陰影を作り、髪の毛はルーターで1本1本仕上げました。
完成した時、胸がいっぱいになりました。志村けんさん、本当にありがとうございました。私の中でドリフターズもバカ殿も永遠です。
そんな思いから…せめて志村けんさんに縁のある方に届けたいと願いました。それでも私にはどうしていいのかも分からず…地元新聞に投稿させて頂きました。
新聞やTwitterから多くの情報を頂き、初めは東村山市でメッセージをお受けしているとの事で、東村山市にお問い合わせをさせて頂きました。
そこから更にイザワオフィス様をご紹介頂き、担当の方のお名前と連絡先を頂戴することが出来ました。
心の底から、良かったという言葉以外ありませんでした。
今でも電話先の声は、温かく忘れられませんでした。
名もない作家で…しかもファンアート…
その中で受けてくださるとは到底考えられず…本当にありがたい限りでした。
コロナウイルス感染拡大を考慮し、自粛制限が始まろうとしていた矢先でもありました。
私はガラスとともに、慢性的かつ圧倒的に足りないであろうマスクと、【蓮の花】LEDライト付きロウソク台2組セットで送ることに決めました。
そして昨日、イザワオフィスさまよりお礼の電話をいただ来ました。
ガラスは志村けんさんのお兄さんに、届けられる運びとなりました。
ニュースでコロナで亡くなるということは、最後の挨拶も出来ないまま、荼毘にふされた状態でご遺族の元に還されることを知り…本当にショックでした。テレビの向こうで拝見したお兄さんに届けられることが出来て本当に良かったと思います。
これも多くの皆様のおかげであり、背中を押してくださったさきがけ新聞様のおかげだと思います。
志村けんさんの笑顔が、少しでもお兄さんの心を癒してくださることを願わずにはいられません。
想いは届くんだということを、私は今回のことを通じて学ぶことが出来ました。
本当に志村けんさん、ありがとうございました。私の中でも永遠に時を刻むこととなとると思います。
人の温もりや想いが、こうして引き継がれ支えられてゆくんだな…ということを改めて感じました。